最期を迎えるということ エピソード

家で最期を迎えるのはどういうことか、前回記載をしました。

ゆっくりとした経過、例えば認知症や老衰の場合には、家で穏やかに最期を迎えるのが良いと思っていますが、癌の場合には御本人がどう思っているのかが大事です。

沢山の方の最期を一緒に過ごさせて頂きました。その中で、いくつかのエピソードを個人情報が特定できない程度にオブラートに包み、記載させて頂きます。

①退院して、家に着いた瞬間に心肺停止になった患者さん

 病院で勤務をしていた時のこと。

高齢発症の1型糖尿病(インスリン投与が必要な糖尿病)、認知症の患者さんがいました。裸で生活をして風邪を引いた、インスリン投与ができなくて高血糖になったと、入退院を繰り返していました。

ある日、おむつを外して縁側で数時間生活をして、風邪をひき、肺炎になって入院をしました。

人形を愛おしそうに抱きしめ、(若くして亡くなった)娘の名前を呼んでいます。同居しているお嬢さんのことは御手伝いさんと思っている様子。人形を抱きながら、家に帰ろうねと毎日のように話しかけていました。

治療をして、落ち着いたから帰ろうと、退院をしました。

退院をして、「やっと家ね。」と笑い、ベッドに移したら、心肺停止

救急車に乗って病院に戻ってきました。

延命治療は望まないとの確認をして、死亡確認をしました。

②処置中に亡くなった患者さん

 80歳代、膿胸で入院なさった患者さん。

外来の主治医でもあったため、深い交流のあった患者さんです。

肺炎をこじらせ、他院入院(家から最も近い病院に搬送されたため)。

その後改善せず、奥様の強い希望で、僕のところに転院してきました。

抗生剤を使っても改善せず。呼吸困難感が強いので、胸水を抜くことにしました。

血圧管理などをしながら、穿刺をして胸水を抜き始めました。

抜き始めたとき、あ~先生、やっと楽になったよ、と笑って話し、急に心肺停止に至り、処置をしても回復できず、お亡くなりになりました。

③自ら死を決めた方

 訪問診療で、拝見していたガン末期の方。

比較的お元気でした。そして、突然「この食事が最期の食事だな」と言ったそうです。その数時間後に眠るように亡くなりました。

 また別の方。認知症の100歳を超えた方。

午前中に訪問診療をしましたが、元気で問題ありませんでした。

昼に眠るように亡くなりました。御家族に聞いたら、どうも御別れとも思えるような言動があったようです。

①②③から、伝えたいこと。

自らの最期を自ら決める方が多いということです。それは認知症でも癌の方でも変わりません。自ら幕を引くということを沢山経験しました。

そして自ら決めた場合、周りがいくら騒ごうと、処置をしようと、蘇ることはありません

最期の瞬間は本人が決めます。あ~、家族がいるときを選んだなとか、逆に、家族が寝ているときを選んだなと感じることがあります。最後の瞬間は自ら決めるのかなと思っています。こうして決めた最期は見守ってあげるのが一番だと思っています。

死が近い患者さんの御家族に、

・日常生活を普通に過ごしましょう

・夜はしっかり寝ましょう

とお伝えしています。いつ死んでしまうのか、とずっと見守られ続けると、最期の瞬間を自ら選べなくなりますし、患者さん自身も息が詰まってしまうからです。

日常生活を営み、その中で自然のお別れができればベストかなと僕は思っています。

勿論そばにいてほしいという患者さんの場合には、そばに居てあげた方が良いですけどね。