家で最期を迎えるということ

訪問診療の目的は、在宅で死去するお手伝いをすること、と以前に記載をしました。

実際に家で最期を迎えるというのは、どういうことかを記載していきます。

僕は、県立病院時代に担当した患者さんの死を50名ほど(3年間で)拝見しました。大学病院の時は数名(2年間)。在宅医療に切り替わってからは、かなりの方をお見送りしました。川崎幸クリニック、ハートクリニックは、年間に100名近いお看取りをする医療機関でした。その経験などを記載します。

”死”といっても、その原因によって対応が大きく異なります。

老衰。

徐々に弱っていき、最期を迎えます。最近では死因の3位が老衰になったとの報告があります。ガン、心疾患の次が老衰になりました。

認知症になり、徐々に色々なことへの要求がなくなります。最後には生きていこうとする意欲がなくなり、食べなくなります。そうして、弱って痩せていき、最期を迎えます。

こうして、意欲を失った結果としての老衰の場合、何もしないで穏やかに見守ってあげることが良いと思っています。徐々に話すことも笑うことも無くなり、眠るように穏やかな最期を迎えます。

しかし、日本では、点滴をしたい、胃瘻を作りたいというご家族様も多数いらっしゃいます。残されるのは御家族ですので、ご家族が納得した医療を選択する必要があります。そのため、このまま穏やかに見守りましょうと説明をしますが、それでも治療をしたいと仰る方は、それに従います。

 

欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)  北欧では、食べられなくなった場合には、それは老化であり、そのまま見守り、看取りましょうとしています。 胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識し、逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。そのため、無理に延命している方がおらず、寝たきりの方がいません。

僕が在宅で見ている時、2週間くらいと期間を決めて点滴をして、改善しないなら老衰、これ以上点滴をすると浮腫んでしまいよ、つらくなってしまうよ、と御家族に話します。頻回に訪問して、ご家族に繰り返しお話をするようにしています。その上で疑問があれば何度でも話し合います。納得したら点滴を辞めて、自然死に行きます。納得しない場合には、患者さんを苦しめない方法(点滴の仕方や量など)をご提案し、その上で治療を継続します。こうして、みんなが納得する最期になるように調整していきます。9割がたは穏やかな最期になります。御家族と話す中で、一時でも長く生きてほしいという思いが御家族に強い場合は、病院への入院手続きを取ることもあります。大事なのは、ご家族が納得しているかであり、家で最期を迎えることではありません。

次に誤嚥性肺炎の方。

嚥下機能が落ちていき、肺炎になります。食事をすると熱を出してゴロゴロうなります。食事をやめて点滴をすると落ち着きます。これを繰り返していきます。この場合は、点滴も経管栄養もせずに、最期を迎えるのが一番穏やかです。その際に、ご本人が食べたいと思ったものは摂取しても良いとします。老衰の時も同様です。「食べると熱が出て可哀そうだ、だから食事をやめよう。けど、まったく食べないというのも、さらに可哀そうだ」と思うからです。

老衰の際も、肺炎の際も、点滴をしないことを勧めています。その理由は、

・点滴から入った水分をうまく循環できずに体が浮腫んでしまうことが多いから

・家で医療行為を沢山すると、ご本人もご家族も落ち着くことができないから

・点滴をしない⇒糖分が入らない⇒頭が働かない⇒徐々に眠る⇒苦しみを感じないから

です。最初2週間くらい家族の受け入れる時間を設けて、その後は点滴をやめるか、減らして、穏やかに最期を迎えることができれば良いなと思っています。

最後に、癌のかた。

癌の方は難しいです。御本人がしっかりしているので、ご本人の意思に従ってあげることが一番幸せだろうと思っています。亡くなった方の家族に調査をした結果(日本緩和医療学会。ちょっと前のデータになります)で、満足度は 在宅=緩和ケア病院>急性期病院、との報告があります。緩和ケア病院という条件は付きますが、病院で最期を迎えても家で迎えても、ご家族の満足度は変わりません。それゆえに、大事なのは本人の意思を尊重することです。

昔の経験した例を挙げます。

・胃がんの末期の方。訪問診療に入り、数か月経過。徐々に弱っていきました。意識がない時間も増えましたが、点滴やステロイド投与をすると数日元気になるというのを繰り返していました。週に2~3回往診に行き、点滴をしていました。その時に御本人から「僕は妻の横でしか寝たことがない。妻の横に居させてほしい!」という話がありました。家族もそれを受け入れ、そばに寄り添い、最期は眠るように亡くなりました。

・大腸がんの女性の方。その方の希望は「おむつ交換を夫にやらせることは絶対に嫌だ」というものでした。ヘルパーの導入、訪問看護の導入で何とかなることを説明しても、夜間は夫しかいないから、迷惑をかけたくない。妻としての美学なのだろうと思います。それに従って、最期は病院で亡くなりました。

これからは県立病院のこと

・胆管癌末期で病院で拝見をしていた時のこと。何をしたいと聞くと、常に妻に迷惑をかけたくないから病院においてくれ、という方でした。しかし、今を逃したら家に帰ることができないからと家族と相談して退院としました。それから毎日、「あんな状態で帰すなんておかしい」という患者さんの夢を見ました。まだ若輩者の僕はどうしたらよいのか分からずに、何も道筋を示さずに退院にしており、申し訳ない気持ちで一杯でした。

数カ月後、十二指腸が閉塞し、何も食事をすることができなくなり、再入院しました。再入院した時、「家にいたことが良かったよ」と話をしてくれました。ただ、「これからは全て僕に話してよ」と話し、今後は患者さんの思いを尊重すると約束をしました。

バイパス手術という選択肢もありますが、余命を考えて、胃管を挿入し、症状緩和としました。「口から食事をして、胃管から出せばよい」と話をし、沢山味わっていました。

2か月くらい続いたとき、趣味が旅行であったことがわかりました。奥さんに毎日僕は電話をして、旅行に連れていきましょうと話をしました。奥様は御家族と調整し、箱根の旅行に行きました。旅行から戻ると、今まで見たことがないほどに元気な顔でした。「あ~幸せだった、次の旅行も計画しているよ!」と嬉しそうでした。

その後、旅行は無理でも家に帰ろうか、というと嬉しそうに外泊するようになりました。外泊から戻る予定の日になっても帰ってきません。家に居たいと強く願うようになりました。数日後に、全身真黄色になって帰ってきました。黄疸です。腹痛もあったようですが、まだ家にいて妻と話したいと麻薬を頑なに拒否していたようです。いよいよつらくなり帰ってきました。御本人に、少し眠くなる薬を使おう、もしかしたら目が覚めずに最期になるかもしれないよ、と伝えました。御家族や職員にあいさつをし、よし、薬を打ってくれ!と話し、点滴を開始しました。その後眠るように、穏やかに最期を迎えました。

この患者さんは、僕は初めて担当したガン末期の方です。沢山のことを学びました。患者さん御自身の思いを尊重しよう、そのためには隠さずにすべてを説明しよう、患者さんの思いは変化していくので、その時の思いを大事にしていこうと教えてもらいました。

文章が長くなってしまいましたが、もう一例

・肺癌末期状態で病院に来た方。診察室に入るなり、あ~末期患者さんだ、とわかるような死相が浮かぶような方でした。毎日さみしいと妻に電話をし続ける方でした。看護師さんが話し相手になり、穏やかにしていました。

いよいよ苦しくなり、レントゲンを撮影したら、肺は腫瘍だらけ。もう短いよと伝えました

翌日、看護師さんを横に座らせて、妻への恋文を読みあげる練習をしていたようです。夕方奥さんがきたら、しゃっきっと座り、一門一句間違えずに、思いを込めて恋文を読み上げました。その夜に意識がなくなり、家族に囲まれて最期を迎えました。

※恋文の内容は、奥さんと練習に同席した看護師しか知りません。すごく素敵な話だったようです。

どうでしょうか。ガン患者さんは、本人の意思が何より重要です。それを尊重し、一人一人の最良な過ごし方を支えていく形になります。今まで沢山の方と接し、沢山の過ごし方を教えて頂きました。またいつか記載させて頂きます。

死を迎えることは大変なことです。しかし、しっかりした医療者がそばにいれば、穏やかに、満足のいく最期を迎えることは可能です。