最期を迎えるということ エピソード②
家で最期を迎えるのはどういうことか、前回記載をしました。
穏やかに最期を迎えるのに大事なことは、①大きな病院のみを受診しない(違う医療機関を持っていること)、②心の通う医師を見つけること、が重要だと思っています。
①肝がん破裂で亡くなった方
病院で勤務をしていた時のこと。
遠方まで車で大学病院に通院なさっていた患者様。
急激な腹痛を感じ、緊急で病院を受診しました。その時に対応した先生(僕の大学の先輩)は、問題なし、と鎮痛薬を処方されて帰ってきました。
その後、お腹が張ってしまい、夜間に、僕の勤務をしていた病院に搬送され、入院しました。
腹水を抜いたら、血 でした。肝癌の破裂です。
破裂した場合、止血することは難しく、1週間程度で死去する方が多いです。
破裂であることが分かった時点で、僕が担当することになりました。
同居なさっていた内縁の奥様に説明し、輸血をしながら腹水を抜き、これ以上の体に無理のかかる治療はしないことにしました。肝癌の進行が著しく、以前にも余命は3か月以内と言われていたようです。
ご本人のやりたいように病室で過ごしてもらうことにしました。大酒家でしたので、大好きなお酒を病室に持ってきてもらい、奥様と楽しそうに過ごしました(お酒は1口くらいしか飲めなかったようです)。
徐々に肝不全になり、黄疸が出て、意識が遠くなっていきました。
奥様(入院中に家族の希望で入籍)の名前を呼び、抱きしめ、その後、奥様の膝の上で眠るように亡くなったようです。
お亡くなりになってから10分くらい、二人っきりでお別れをし、その後、僕に連絡をくださいました。
大きな病院では、余命が短くなった場合、モニター装着といって、血圧計や脈を測定する機械を取り付けられ、血圧が下がると”ピローン ピローン”と大きな音を立てます。この状況のもとで、平穏な死を迎えることができますか?
②軟骨肉腫で病院を追い出された方
大学病院で加療を受けていた50歳代の女性。
あらゆる治療をしましたが、病気は進行しました。治療はもうないという話とともに、緩和ケアを受けるようにという紹介状を渡され、どこかを受診しなさいと説明を受けました。どこに緩和ケア病棟があるのかも説明を聞いていません。
そこで、どうしてよいのかわからず、途方に暮れ、激痛の中で約1か月過ごしていたようです。
ある夜、余りに痛いので救急車で、病院にきました。
その夜、僕が当直だったので、よく覚えています。病院に行きたいといっても、大学に断られ、どこも受けてくれない。痛くて痛くて死にそうですと。
麻薬の投与を開始し、穏やかに過ごすようになりました。入院する前は、毎日のように亡くなった親が枕元に立っているのを感じていたと仰っていました。ご家族も毎日のように面会にきました。落ち着いたし外泊する?と聞いても頷きません。よほど怖かったのでしょうね。
ある夜、今日は元気よ、死ぬ感じはないし、先生も帰ってねとの話がありました。僕は家に帰りました。翌朝胸騒ぎがしました。病院に行くと、お亡くなりになっていました。僕に笑ってくれたのは、優しさだったのかもしれません。
③病院から追い出される患者さん
大学病院の外来で見ていた肝癌の患者さん。末期になり、入院にしました。上司が夕方やってきて、「なんで入院させた! 1週間以内に転院させてよ!」。患者さんに謝りながら、転院にしました。
一方で、その上司が主治医の患者さん。「何週間入院してもよいから、元気にしてから帰してあげてね」と、同じく末期の方。長期入院しましたが、病状からも元気にはなりません。最終的には転院しました。”病院にいる方が元気になる”という古い思考の主治医のもと、退院の選択肢を提示されず、大事な時期を逃したと思いました。
④死を自覚させよう
40歳代肝細胞癌のかた。大学病院の上司(上記の上司とは別の人)が主治医でした。
もう治療法はないという段階。余命は1~2か月。子供はまだ小学生低学年。特に治療をする訳ではなく、ただ入院が長くなり、毎日のように子供が見舞いに来て、一緒に横になっていました。
家に帰しましょうと上司に言うと、「あと1か月もすれば死を自覚するから、もう少し待っていよう」と。絶句しました。
受け持ちを変わってほしいと伝え、訪問診療のクリニックを手配しました。退院後大変なこともあったようですが、良かったですとご家族様より。
⑤医療費が高いから入院させよう!
在宅のクリニックで拝見していた、軟骨肉腫末期の方。
子育てをしながら、必死に病気と闘っていました。いよいよ動けなくなってきました。麻薬の量が増え、金銭管理が難しくなってきました。そこで初めて夫に金銭面の相談をします。そこで夫から「そんなにかかっていたのか。入院すれば保険が下りるし、入院してよ」との一言。入院したら、子育てを頑張ろうという気持ちがなくなり、急速に弱ってしまい、亡くなってしまいました。
⑥家の方が良いよと、入院させない。
訪問診療の時のこと。ガン末期の方が、そろそろつらいし、入院したいとの希望を言いました。そのとき、主治医は、家の方が良いに決まっているから、家に居ましょうと。家で看取りをしました。そんなことが多数ありました。
勿論、周囲の医療機関との兼ね合いで、希望した人を全例入院とすることに無理というのはありますが、う~んと思いました。大事なことは、”家で死ぬこと”ではなく、”希望のところで穏やかに死ぬこと”です。
⑦家でのケアが、第2の新婚生活のようだ
病院勤務の時、膵臓癌の方がいました。抗がん剤は副作用が強く投与ができず。家で過ごしたいと本人が望み、退院。退院後、定期的に電話をして状態を確認していました。
その後、家でお亡くなりになり、「夫婦で生活した時間は大変でした。けど、2回目の新婚生活のようで、こんなに2人で長く暮らせた時間はありませんでした。幸せでした」と、奥様が仰ってくれました。
⑧短い余命を思いっきり仕事をした患者さん
肝細胞癌の方。初診の段階で進行しており、このまま治療を繰り返しても余命3ヶ月。何もしなければ2か月といったところ。それをお伝えしました。その上で、「やりたいことがあるから帰る!」と選択なさった。
月に1回外来で診察をしました。2カ月後、黄疸で真っ黄色。入院にしました。翌日朦朧とし、痛みも強くなりました。御家族とお話をして、麻薬や鎮静剤の投与を開始し、同日お亡くなりになりました。再入院した際に、「やりたいことはできたの?」と聞くと、にっこり笑っていたのを忘れられません。御家族に聞いたら、色々な仕事を思いっきりしていたとのこと。御家族に少しでもお金を残したかったのかもしれませんね。御本人、御家族ともに、満足そうでした。
最後に
色々なエピソードを書きました。がん患者さんのエピソードです。いろいろですよね。
大きな病院は最期を迎えるには適していません。僕も大学病院で勤務している時、感情を押し殺して、入院できません、転院してください、と伝えていきました。これが嫌で、大学病院から離れました。僕がいた横浜市大だけの話ではなく、大きな病院はみんな同じような感じです。治療は専門家ですが、転院させることが多いため、大きな病院の先生は実際に死を見たことが余りなく、素人です。大きな病院に最後まで付いていくのは危険です。
また、自分の希望を聞いてくれるのか、主治医と話し合うことをお勧めします。主治医がいろいろな死へのイメージを持っていないと、うまく導いてはくれません。
癌の方は、精神的に揺らぎます。癌や死を受け入れたくない時期、悲しく泣く時期、自暴自棄になる時期、色々あります。だからこそ、穏やかに話ができる主治医と話し合う必要があります。僕は「急変時にどうしたい?」ということを言葉に記すことは余りしません。それは、患者さんの心は刻一刻と変わるからです。今のあなたならどうする?、という答えは変わっていくので、どこかのタイミングで決めたことに従って動くのは無理だと思うからです。刻一刻と変化する感情についていくことができる主治医なのか、見極めて、主治医を決めた方が良いです。