告知について
”告知”という言葉をどう感じますか?
僕は嫌いです。
上から物を申しているような印象を感じるからです。
僕は患者さんとの目線を大事にしてきました。前回記載させていただいた通りですね。
病名を告げる、余命を告げることは重要であると思っています。
必要性について
僕が医師を目指そうとしていた頃、特に高校生の頃でしょうか。小論文のために、医師にかかわる本を読んでいました。そのころは告知をするのかどうか、ということがメインテーマの一つでした。
最近ではどうでしょうか。告知をしない、という選択肢がないほどに、今は伝えていきます。医師の中では”ムンテラ”と言います。 ドイツ語のMundTherapieからくる言葉で、情報を伝えるという意味を持ちます。
日本人にアンケートをした際に、
・自分が病気なら説明をしてほしい
・家族が病気の場合には、説明をしないでほしい
という結果が多いと聞きます。
家族に伝えたときに、悲しむだろう、受け止めないのではないか、という心配があるといいます。
僕は、病名や余命を伝えることは重要であると思っており、基本的には伝えています。ただ伝えるのではなく、その後の人生を一緒に歩むという覚悟を示したうえで、伝えるようにしています。最近の医師はそれがない印象を受けています。
とある患者さんのエピソードを記載します。
膵癌で余命が短いと説明をした患者さん
40歳代の男性で、黄疸で発症。CTを撮影すると、進行性の膵癌でした。
ご家族をよび、膵癌であること、膵癌の一般的な余命は治療をしなければ3か月であること、治療をした場合で9か月であること、まれに1年を超すことができることを説明しました。
そのうえで、死する最期の瞬間まで、一緒に歩ませてほしいと説明をしました。
しばらくは抗がん剤が効いていましたが、徐々に効果が無くなってきました。そして腹水がたまるようになりました。週に2回通院していただき、1回5L程度の腹水を抜いていきました。
そういう生活がしばらく続き、いよいよ進行して黄疸が出てしまいました。死が近いことを本人も認識しています。納得していただいた上で入院として、麻薬などで鎮痛をはかり、最期は眠るように亡くなりました。
その方のご家族の言葉が今でも忘れられません。
・告知を受けたとき、先生のことを悪魔だと思っていた。なんでこんなに酷いことをスラスラと言えるのか、本当に酷いと思った。
・その後、親身になり、一緒に治療をする上で思いが変わった。娘が高校生。縁があれば、娘と結婚してもらえないかなって冗談で話をしていました。
病気の存在を疑い続けるおばあちゃん
もう一例記載します。訪問診療の時のこと。
食事摂取不能になり、病院で検査をしたところ、ガンが疑わしいとのこと。通院困難で訪問診療になりました。
ご家族の希望は、”病名を伝えないでほしい”。
ご本人は、”なんで元気にならないのか”と家族に問い続けたそうです。そして、私は悪い病気なんでしょう?と聞いてきたそうです。ご家族はどう伝えればよいのか分からず、会いに行くことを避けるようになりました。
そこで病名を伝えることにしました。
伝え終わると、優しい顔で、納得したような印象でした。それ以降は穏やかな時を過ごし、最期は眠りながら亡くなりました。
告知のあとが重要です
病気の説明を受けたとき、それに対して拒絶したい感情、自暴自棄になるような感情、様々な感情が渦巻きます。伝えなければ、残りの人生を自己選択することができなくなります。そのため、伝えた方が良いと思っています。ただ伝えるのではなく、その後の拒絶する感情などを包み込むという姿勢が重要であると思っています。
患者さんに伝える日、その日は僕にとっても負担が大きいです。告知した日は、家に帰ると倒れるように眠ってしまいました。告知は、心と心の戦いであり、通わせるチャンスでもあり、全身全霊で向き合っていました。
患者さんと心と心を通わせることができたとき、お互いの思いが伝わるようになります。余命が短いと分かった時に、患者さんに”あと数日だよ”と説明をしました。余命を数日と伝えることは非常に残酷な印象を受けると思いますが、病名を伝える際の心の通わせ方、その後の全てを包むという覚悟などが伝わっていると、非常にすんなりと患者さんも受け止め、それをプラスに転じる(最期の時間を大事にする)ことができます。